雑念フランシア

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にんげん多少ひねくれてるぐらいがちょうどいい

お盆休みなので、いつも見られなかったDr.HOUSEをぼーっと見て思ったこと。
にんげん多少ひねくれてるか、鈍感ぐらいがちょうどいいということ。


ひとのいうことをいちいち真に受ける、素直に受けていては、自分本位でずるい人が多い、情報が氾濫している今の時代は生きづらい。
自分自身を見失わずに信念を貫くには、多少ひねくれていたり、鈍感でいることが必要なのではないだろうか。


もちろん素直でいること、他人のことを思いやることはなくしてはいけないことだけど、毎回周りからの情報を額縁どおり受け取っていたら心が持たないし、自分のやりたいこともできないだろう。


「取り返しがつかないことになるぞ」
ということばに対して、


「取り返しがつかなくなるかも、どうしよう」
と思うんじゃなくて、


Dr.HOUSEを思い出しながら、
「あんたのいう取り返しがつかなくなる事態ってどういうことだい? 本当に取り返しがつかないことなんて世の中にそうはないもんだ。 それにそう脅したってなんのメリットも無いがね。 まっ忠告は聞いておくよ」
ぐらいに思うようにしないと。 Dr.HOUSEのように言葉にはできないけどね。


あとは多少ひとから嫌われることは受け入れてしまうこと。
多少ひねくれていたって、やるべきことをやっているにんげんにはそう敵ばかりということにはならないだろう。